タイトル

(一)地上天国への道(改神・改心・改身(かいしん)

大夲光之道の目的は、宗教時代に預言していた病貧争絶無の「地上天国」(極楽浄土)を実相現界に「顕国(けんこく)」していく事である.

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天国と言うからには、神でなければその世界に存在出来ない訳で、地上での天国と言うことになれば、地上の人間が「神人(かみ)」に(よみがえ)って、その甦った神人によって地上に神霊(かみ)意図(いと)する天国を(うつ)しあらわして行くことを「顕国(けんこく)」と言うのである。

神人世(かみよ)を迎えた今日(こんにち)人類(・・)の恒久平和を実現するには、只肉体を持った人間だけでなく、目に見えないながらも存在している神霊(かみ)氏神(おや)先祖(せんぞ)霊魂(たましい)目覚(めざ)め、その不滅の生命(いのち)(とも)に世界人累(じんるい)(三界万霊)が平和にならなければならない。その為には先ず「人間」から「人(霊止(ひと))」に「人(霊止(ひと))」から「神人(かみ)」に(よみがえ)ることが絶対的な必要条件であり、この事を「改神」「改心」「改身」(かいしん)と言う。

(二)浄霊(じょうれい)の真義と金明霊覚(きんめいれいかく)

人間は他の生命(いのち)ある動植物を犠牲(ぎせい)にして生きており、その事が当たり前に成って、 犠牲(ぎせい)にしていることさえ気付きもしないが、肉体を持って()の世に産み出されたと言うことは、無限に存在する他の生物の中で最高の立場に産み出されたことに先ず気付かなければならない。

その最高の立場に産み出してくれた親・先祖代々の霊魂(たましい)は今どこに存在し、どうして居るのか、その事すら考える事なく、私利私欲にとらわれているのが人間であり、最近の世相を見ても分かる通り、動物以下に成り下がって 忘恩(ぼうおん)(やから)と化しているのである。その獣の如き人間から親の恩を知る「人( 霊止(ひと))」と成長し、更に報恩の出来る「神人(しんじん)」と(よみがえ)らなければならない。

その神人(しんじん)である(あかし)は、「感謝報恩」の実践であり、その方法が「 浄霊(じょうれい)」の実行なのである。

浄霊とは、 天父霊(てんちちみたま)(いのち)伊都能売(いづのめ)神魂(しんこん))と人の魂(身魂(みたま))との結びによって、人の体より放射される神光(みひかり)である。その伊都能売(いづのめ)神魂(しんこん)を拝受する事により、感念の神から実相の神人(かみ)に改める事が出来たということで、それを改神(・・)と言う。

しかし、神魂(しんこん)を拝受する心が人心では、肉体中心の御利益信仰になるので、その人心から神心に改めなければならない。それを 改心(・・)と言う。改心するには人間では神霊(ことば)の心、親・先祖の霊心(たまごころ)を知ることが出来ないので、神霊(かみ)・先祖の方から神意を神の 言霊(ことだま)神言(しんげん))によって伝えて来られる。更に、その神言によって伝えて来られた神意に、人間の側が叶っているかどうかを神霊(かみ)(まなこ)から視られたものを「霊視(れいし)」と言う。この霊視・神言を基にして、正しき神意を()き明かし、善悪の(たて)()けすることを「審神(さにわ)」と言う。

霊視(れいし)」「神言(しんげん)」「審神(さにわ)」の三つを総称して「 金明霊覚(きんめいれいかく)」と言い、金明霊覚を基にした神魂(かみ)を現わし、その神意を実行して行くことを「 顕国神業(けんこくしんぎょう)」と言うのである。

大夲光之道は、浄霊と金明霊覚の二大(にだい)神宝(しんぽう)により、三界万霊の望みし 伊都能売(いづのめ)地上天国を実現するのが目的なのである。

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金明霊覚(きんめいれいかく)に関する「神言(しんげん)

太弥勒大御神様(だいみろくおおみかみさま)御言霊(みことば)

金明霊学(覚)は(うしとら)金神(こんじん)国常立尊(くにとこたちのみこと)が56億7千万年の大経綸(だいけいりん)を成り成り合わせ、仕組仕組た天津金木(あまつかなぎ)の奥伝でありて、(これ)なくして宇宙、(れい)(りょく)(たい)の構成の真意も決して(さと)れぬ事である。故に神は天地初発から見ておりた神でなければ、人間の浅智恵では判らぬと申しておりた事が、金明霊学(覚)である。

金明霊学(覚)にはこの天地を造り固めた神々の(こころ)が結び仕組みてある事である。

この天津金木(あまつかなぎ)、金明霊覚は修理(しゅうり)固成(こせい)の奥伝であり、大経綸(だいけいりん)の奥書である故、時到らずして悪神の手に渡りては、神界の経綸(けいりん)成十(じょうじゅ)せぬ故、真珠の御珠(みたま)に仕組み玉手箱に封じ、龍宮の音秘(おとひめ)なる金勝要(きんかつかね)の神にあずけて、深海の奥深く弥勒(みろく)神世(かみよ)到来の(あかつき)まで()しかくしおきたぞ。

(しか)れどこの金明霊学(覚)がなければ、天地の神々の御苦労も、天地の仕組も判らず、わが世の中を造り固めた如く思いておりた副守護神(ふくしゅごじん)慢心(まんしん)取違えであったと改神させる事も出来ぬ故、宝観主光(ほうかんしゅこう)生身魂(いくみたま)をもちて、乙姫(おとひめ)(音秘)の玉手箱を開明させたのである。

(ひつじさる)金神(こんじん)豊国主(とよくにぬし)と現われて、この豊岡聖城(とよおかせいじょう)()(ひら)神武(じんむ)来日山(くるひやま)深く霊体(れいたい)一致(いっち)の仕組を悟り心言行三位(さんみ)一体(いったい)の道の完成に金明霊学(覚)を活かし、八百八光(やこう)の末代に身魂(みたま)輝く弥勒(みろく)神聖(しんせい)成十(じょうじゅ)を計り行かねばならぬ事である。

天保9年(天理教、中山美岐刀自(とじ))より天運の到来を明示し、明治25年旧正月(大本教、出口直刀自(とじ))よりは立替立直しの大役者なる国常立尊(くにとこたちのみこと)殿、出口直の身魂(みたま)駆使(くし)して、神聖首途(しゅと)の宣言を()べ給いき。昭和3年3月3日時運(じうん)は神界夜昼大転換の前夜にして、出口王仁三郎(でぐちおくざぶろう)56歳7ヶ月の(あかつき)なり。

この時点に於いて、諸善(しょぜん)仏神(ぶっしん)は、弥勒(みろく)大神(おおかみ)の元、神政(しんせい)奉還(ほうかん)なし、昭和6年6月15日に到りて霊界は夜昼転換、黎明(れいめい)の時を迎え、日之出(ひので)(ひめ)自観(じかん)明主(めいしゅ)(救世教)の出現を(もっ)て、神界大経綸(だいけいりん)終焉(しゅうえん)の仕組は現世(うつしよ)に写りし(きざ)しを明かにしたのである。

弥勒大聖旨(だいせいし)日之出(・・・)大神業(・・・)の序幕にして愈々(いよいよ)時運到来56億7千万年の大経綸は終焉(しゅうえん)の時と近まったのである。神がここまで厳しく申さねばならぬ事は、時代の切迫は一刻の猶予(ゆうよ)とてなき現状なるが故である。

惟神(かむながら)

※金明霊覚に基づく次なる進展は下記の通り

昭和54年9月9日

「宗教光之道」立替立直し岡田年弘氏

昭和55年4月5日

「大夲光之道」の神名降下

昭和55年5月5日

日之出(ひので)神人世(かみよ)到来

昭和55年9月5日

厳霊(いづみたま)宝観明鏡(ほうかんめいきょう)御顕生(ごけんしょう)

昭和57年7月7日

瑞霊(みづみたま)皇胤豊鏡(こういんほうきょう)御顕生(ごけんしょう)

昭和57年11月1日

伊都能売(いづのめ)神人世(かみよ)到来

これより、地上(血浄(ちじょう)智浄(ちじょう))天国建設、顕国(けんこく)神業(しんぎょう)始まる。